問題を捨てる 6

普通のパーティと同じ賑わいが、見た目の異様さとマッチしないことに"何か変"だと感じたのかもしれません。


あまりにも幸せそうな彼らの表情に戸惑ったのかもしれません。


あちこちで笑い声が部屋に響き渡っていました。


そのうち、わたしはリサという10代の女の子と話し始めました。


彼女はこの数年、モデルとして成功しようと励んできたところ自動車事故に見舞われ、顔を含めた半身が不随になって、肘に固定されたアルミの杖でやっと立っていました。


わたしと大人2人が彼女としゃべっていると、何かのはずみで突然彼女はバランスを失い、真後ろに倒れてしまったのです。


まるで大木が伐採されたときのようにどーんと床に・・・。


痛さに涙を浮かべながらも、リサはいびつな笑みを顔に浮かべ、「おかげでお尻が丈夫になったわ」とあっさり一言。


"お尻が丈夫になった"とは決して神聖な言葉ではありませんが、リサのこの一瞬のこの言葉以上に尊い反応があるでしょうか?


彼女がどんな宗教的考えを持っていたか、そこにいた子供たちが一人でも神を信じていたか、わたしは知りません。


しかしその部屋にいた子供たちからは神々しい輝き、笑い声、そして喜びが溢れていました。


そのために必要なのは信心ではなく、今ここに全身全霊で存在するということ。


・・・子供はたいてい、そういう存在です。

問題を捨てる 5

テレビで戦場や難民キャンプ、飢饉に見舞われている現地レポートを見ても、信じられないような逆境にも子供たちの笑顔が存在することに驚かされます。


どんなに苛酷な条件のなかでも小さな子供たちは無邪気に遊び回ることができるのでしょうか。


大人と子供の違いをあるパーティでよく見せてもらいました。


創設者で児童精神医学博士と出会って間もないころ、彼がセンター最初のクリスマス・パーティに招待してくれました。


妻は都合がつかず、わたしは一人でセンターを訪ね、子供たちでいっぱいの大きな部屋に通されました。


その部屋に入った瞬間、飛び込んできた光景は衝撃的でした。


車椅子や松葉杖の子、筋ジストロフィーやホジキン病の子、体の一部が切断されたり麻痺した子、化学療法のため頭を剃られた子もいました。


恐ろしい障害に溢れたこの部屋を見渡した時、何か変だなと感じたのです。


大半は10代かそれ以下の子供たちで、どこにでもある普通のパーティと同様、2人か3人ずつのグループになって話し合っています。


余興もなく、食事もまだ運ばれていませんでしたが、次から次へと子供たちの顔を眺めると、みんな"健康"な子供たちと同じように幸せな表情をしているのです。

問題を捨てる 4

ある人たちだけが難易度の高い人生を送り、他の人たちが問題の少ない人生をスイスイ生きるわけではありません。


信じられないような悲劇的な人生を淡々と引き受けて生きていく人もいますし、些細なことで心に波風を立ててしまう人もいます。


日常生活は自分の不幸を正当化するための材料に事欠かないのです。


問題はわれわれがとらわれている程度に応じてわれわれを攻撃してきます。


そこからの解放、自由、そして安らぎへのカギは、問題となり得る外的要因を取り除くことではありません。


どんな困難に直面してもそれらに対するいつもの反応パターンー習慣化されたモノの見方を変えることにあるのです。


過去25年間家族カウンセリングをしてきて、妻もわたしも一貫して感動し続けていることがあります。


それは虐待を受けながら育つ子供たちが示す基本的な充足感です。


何年もの感情的身体的迫害を受けなければ、この本質まで破壊するに至りません。

問題を捨てる 3

ほとんどの人にとって、人生とは一難去ってまた一難、一日の間にさえ、休む間もなく次から次へと何らかの問題に追われているのが現実ではないでしょうか。


生きるということがいつのまにか、問題を中心に回るようになってきて"どんな問題を抱えているか"によって人を定義づける習慣さえできてしまいました。


今、この場にいない人のことを話すとき、まずその人の問題を通して"どんな人か"を語っています。


今度気をつけて人の会話を聞いてみてください。


また、人生でどんな困難な目に会ってきたかということによって自分を規定し、人生の意味さえ測ろうとすることもあります。


人の不幸や問題の大小を測れると信じていますが、実際にはある人にとって何でもないことが、別の人にとっては大きな悩みのタネとなることがよくあります。


たとえば、創価学会 仏壇のある我が家を根城とする野良猫が2匹近所にいて、どんな獲物でも必ずおすそわけしてくれますが、そのためネズミや小鳥、トカゲなどの一片が予告なしに家の中に置かれていきます。


この"贈り物"の始末をわたしは何とも思いませんが他の家族にとっては困りものです。


逆にわたしがEメールを交わすのにイライラしてしまう相手に、妻はいとも簡単に対応してしまうのです。

問題を捨てる 2

「こんな気持ちでいる必要はないんだ。もっとこういう気持ちになりたい」


・・・という気持ちが大切です。


今、どういう気持ちでいるか正直にパッと眺めるだけで心境が変わることもあります。


そこで葛藤や心配をそっと手放せばいいのです。


しかしそんなに簡単にいかないときもあります。


そんな時のためにこのブログを使っていただきたいのです。


自己正当化、被害者意識、いら立ち、皮肉などの気持ちに振り回されて他の感じ方もあるのだということをわたしたちはしばしば忘れて暮らしています。


持続的な愛、破られない約束、壊れることのない心の安らぎを人間はほとんど信じられなくなっているのです。


最初は手放すという作業がとてつもなく難しく感じられるでしょう。


それぞれの人生には果てしない問題がいっぱいゴミのように詰まっていて、それらが一掃できればいいのにと願いつつ、そのどれ一つとして完全に捨て去ることができないでいます。


心のゴミも不用品 買取で処分したいものですね。


これが多くの人にとっての現実なのです。

問題を捨てる

パートナーに対しても同じで、その人に対して差別の意識なく一貫して愛情を抱いていれば、相手のあらゆる怖れ、たとえば経済的不安、老いることへの恐怖、高所恐怖症など、どんなことでも自分のこととして感じられるはずです。


決して「そんな恐怖、ばからしい」と見下したりはしないでしょう。


もし、あなたがパートナーの不安や怖れに対してイラついたり軽蔑したりするなら少なくともその瞬間、あなたはその人との本源的なつながりを求めていないばかりか、ただの友情さえ抱いていないということです。


人とのつながりを育みたいと言う一方で、分裂した心で人とかかわるのはいけません。


そういう場合はまず自分が人と自分とを分け隔てしていることを認め、正直にそれを見つめることから始めなければなりません。


そして次に心の奥にある本当の気持ちに触れることです。


それはだれとも分け隔てされていない、すべてと一体となって充足しているところです。


そこから外に向かって働きかけるとき、動き出すのは永遠に不変の命、存在そのものなのです。


捨てるという行為を語るのに実践にかかる以上の時間を費やしてしまいました。


実生活ではもっとシンプルです。

愛を捧げること 4

妻は子供たちの内にある無邪気さを見て、彼女自身の本源から働きかけるのがとてもうまいのです。


常日頃からそうしているように、この時も彼女は八歳の子供たちの無邪気さそのものに向かって話しかけたのでした。


怒鳴った男性を批判して


「いやな人ね。走りたかったら走ればいいのよ」

・・・と言ったとしても女の子たちはまた走り出したかもしれませんが、ただ歩く速度が速くなっただけで頭の中は混乱して、分裂したままだったかもしれません。


単純な子供らしい喜びに溢れて、無邪気に走るというわけにはいかなかったでしょう。


実質的にまるごとの精神、つまりわたしたちの本源から物事に向かうということは何を意味するのでしょうか?


それはだれかにとって、特に愛する人にとって大切なことが、自分にとっても大切に思えるということです。


たとえば子供を真実愛している親であれば「カミナリさまがコワイ!」という訴えを決してばかにしたり、軽んじたりしません。

愛を捧げること 3

一日どんなに小さくても一歩を踏みだすことで十分なのです。


何かになろう、何かを達成しようと考えるよりもよほど手の届きそうな目標ではありませんか。


・・・ある日、息子のバスケットの試合を観戦しに学校へいきました。


試合が終わり体育館を後にして、妻と2人で出口に向かう長い廊下を歩いていたときのことです。


8歳くらいの女の子たち3人が、楽しげに笑いながらわたしたちの横をすり抜けていきます。


出口に向かって駆けていき、前方を歩いていた男性のことも追い越そうとするとその人は「廊下を走るな!」と一喝。


女の子たちは急ブレーキをかけるようにスローダウンしましたが、「こんな安全そうなところでどうして走っちゃいけないの」と腑に落ちない様子。


そのうちわたしたちも追いつき、怒鳴った男性はもう外へ出るところでした。


妻は女の子たちに近づいて「あの人はスキップしちゃいけないとは言わなかったわね」と言いました。


とたんにうれしそうな表情に戻った彼女たち。


喜び勇んで出口まで一斉にスキップしていきました。


弾んだ声で「そうよ、走るなとは言ったけどスキップするな、とは言わなかったわよ」


「ねえー」


・・・と笑い交わしながら。

愛を捧げること 2

無条件に愛する時、わたしたちは愛そのものにひたっています。


だから障害をもつ子供の親が深く恵まれ、無上の愛を体験したり、欠陥のあるペットや太り過ぎのパートナーに深い愛を感じることだってあるのです。


この体験のために必要なことはただ一つ。


あなたの内の静かで一つにまとまった心、愛する心からすべてに対応してゆくこと。


気ぜわしく働き、いくつもに分裂した心からではなく。


みなさんにわかっていただきたいのは、だれも一足飛びに対立する世界から純粋に一体感のある安らぎの世界へ行くわけではないということです。


もちろん、それが理想なのですが、実際には常にこのどちらかのほうを向いて歩を進めている、いわば常に岐路に立っているのがわたしたちの実状といえるでしょう。


われわれの中で少しずつ共感が拡がり、何か深いところで生命の本源とつながっていく感覚を日々得ることはできます。


しかし逆にイライラしたり、バランスを失う日もあるでしょうし、何か調子の悪い、自分にも人にもやさしくできない時もやってくるでしょう。


できることは今日、今、ここにベストを尽くす。


ただそれだけです。


大事なのはわたしたちの心が向いている方向なのです。


捨てるという段階をどこまで進めたか、ということではないのです。

愛を捧げること

手をかけた庭が手入れをするその人に喜びを与えてくれるのは、ペットが飼い主に、子供が親に、お互いがともに喜びを与えることができるのは、そこにお互いが愛を感じるからです。


しかしまず自ら愛を捧げなければ決して愛を感じることはできないのです。


自分から愛さなければ、どれだけ忠実なペットも献身的な恋人も子供も決してわたしたちの心に触れることはないのです。


何千年もの間、戯曲や詩歌、教典は人類に愛の素晴らしさを説いてきました。


多くの人はこれを「愛されることの素晴らしさ」と解釈します。


もちろん、それも確かですが愛の素晴らしさを知るためにはまず愛さなければなりません。


愛すれば、愛される以上のものを得ることができるのです。


先礼者ヨハネはこう言いました。


「互いを愛せよ。


愛は神のものだから。


愛する者はすべて神から生まれ、神を知る者なり。


だが、愛さぬ者は神をまったく知らぬ者なり。


神こそは愛だから」。

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